Uターンする先が無い神奈川県民、とおくに感じてきた移住を考える

わたしは神奈川県出身である。

中途半端なアーバン感とルーラル感のはざまにある「田園都市線」の民であった。

近い。どこにだってアクセスがいい。混雑を忘れれば。
今の住まいからもそれなりの時間で着く。
往復1000円かからない。

そうした、Uターンする先すらないわたしが
「移住したい」と思うのにはかなりの時間を要した。


そもそも「帰省」に自分との距離を感じる。

長期休みの前になると必ずオフィスではずむ関西弁。

「いつ帰るん?」
「新幹線とられへん・・・あかん今回はバスやあ」
「おかん、『いつ来んねん』てひつこい」
(エセ関西弁だというご指摘はご容赦を)

皆、
面倒だとか
忙しいとか
ちょっとしか帰れないとか
逆に長過ぎるとか
メシ食って帰ってもメシ出てくるとかぶつくさいいながら
それぞれニコニコしている。

それが「イナカ」の存在なんだと知った。
そして、羨ましいと感じた。

わたしだって「帰りたい」。
(いや、実家、電車ですぐだぞ。)

わたしだって新幹線のりたい。
旅行じゃなくて出張じゃなくて、
どこかに「行く」ためじゃなく「帰る」ために乗りたい。

わたしだって「地元」で、、、

そうして、「地元」に憧れができた。


「地元」への憧れがうまれてからというもの、
満員電車に揺られ、

ポジション争いをするオッチャンをみながら思うのは
「いつまでこの生活をするのか」ということだ。

田園都市線民にとってはラッシュは日常だった。

それまでは別になんも考えてなかった。

でもいきなり、「この生活はどこまで?」と思うようになった。

「いつまで消耗してるの」みたいなほど考えたアレじゃなくて。

だって、消耗は楽しい。考えなしには、楽しい。
でも、20年後もそう言えるのかというと、自信はあまりない。

そんなことを考えてる時点でもはや、
わたしの現在の住まいは「地元」ではないのかもしれない。

そこに思考が行き着いたとき、わたしは「移住」したいのかもしれないと思った。

根を生やして、帰るための暮らしをしたい。
ひとつづつ毎日を暮らしたい。

次の休みには、これまでと違う視点で旅行に行ってみようと思う。

千里のみちも、1歩から。
移住計画は、旅行から。